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室生犀星「蒼白き巣窟」 [文学小説]

先日購入した、室生犀星の作品集(Kindle版)に「蒼白き巣窟」という短編小説があります。作者が遊郭の中に入り込み、女達の生活を描き出しつつ客の1人として関わる様を描いた作品です。巣窟の規模は四千何百個とあり、それなりに大きな規模かと思います。

「私」と女郎「おすゑ」のやりとりが一つプロットとしてまとまっていますが、これを見ると「遊ぶ」ということも人間関係の一つであることがよくわかります。

さらに、病気の祖母を抱えた女が「私」を自宅に招き入れる部分。これはもう、生活の場と商売の場が完全に重なってしまっていて、正直読んでいてかなりの違和感を覚えました。女の身の上と商売は関係ないだろうという気持ちが先に立ったのです。でも読み進めていくうちに、このような実態は存在し得たであろうし、女が置かれている境遇を考えるとこの形しかあり得ないだろうと納得せざるを得ませんでした。これが作品中の二つ目のプロットになっています。「私」はこの女に銀貨を恵むのですが、立場の上下関係から来るいやらしさは全く感じられません。まあこれは金持ちの旦那が気まぐれお金を恵んでやるという流れにはなっておらず、犀星も丁寧な描写を心がけているせいかと思いますが。貧困から来るやるせなさを感じるかはおそらく人それぞれで、私は、文体は結構ドライな感じでやるせなさはあまり感じませんでしたが、読む人によって意見は分かれるかもしれないなと思いました。

ここに出てくる人の生活レベルは底辺層です。そこから来る場末感を作品中にぶちまけ、所々にきらりと光る登場人物同士のやりとりを丁寧に拾っていくという、犀星が得意とする手法ですね。
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室生犀星「或る少女の死まで」と「ザボンの実る木のもとに」 [文学小説]

以前に、ブログで村上春樹『ノルウェイの森』と「螢」の関係について論じたことがありました。「螢」は『ノルウェイの森』の一部となっている短編集で、『ノルウェイの森』は「螢」をほぼ完全な形で含んでおり、作品の出発点となったと考えています。

同様の構造を、室生犀星「或る少女の死まで」と「ザボンの実る木のもとに」にも見ることができます。「ザボンの実る木のもとに」は「或る少女の死まで」の一部と見なせる作品ですが、「或る少女の死まで」はそれほど長い作品ではないので、一部と言うの言い過ぎかもしれませんが。

ところで後者の底本は「室生犀星全集第一巻」新潮社、昭和三十九年とされており、「或る少女の死まで」よりは新しい作品のようです。とするとこれは作者が「或る少女の死まで」と書いた後で、そのコアとなる部分を再度取り出して結晶化したものと考えられるかもしれません。

※下記の電子本を読みました。

『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』

『室生犀星作品集・57作品⇒1冊』

  • 出版社/メーカー: 室生犀星作品集・出版委員会
  • 発売日: 2016/12/21
  • メディア: Kindle版



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室生犀星「或る少女の死まで」 [文学小説]

こちらも、Kindle端末で読める電子書籍を入手しました。
著作権が切れているのか、67作品を1冊にまとめたものが99円でした。

「或る少女の死まで」を再読しましたが、こちらは初読のときと印象がほとんど変わらず。
登場人物が暮らす世界の、場末感がぷんぷんする作品なのですが、その中でふじ子の美しさが際立っています。

色々な作品が詰まっているので、楽しめそうです。
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福永武彦『草の花』再び [文学小説]

かなり久しぶりの書き込みです。

福永の作品もいくつか電子書籍化されており、『死の島』をはじめ、『草の花』、『廃市・飛ぶ男』、『夢見る少年の昼と夜』、『風のかたみ』などがAMAZONやApple Storeで入手できます。

福永の小説を電子書籍の形で持っておくと、KindleやiPhoneからいつでもアクセスできてよいですね。常に読むとういうわけではありませんが、昔、出かける際に文庫本を携行するような感覚です。

久々に『草の花』を読み返しましたが、第二の手記の中に書かれた、汐見茂思の戦争に対する苦悩、千枝子とのやりとりが心に残りました。以前は興味が第一の手記の方に行っていたので自分でも意外でしたが。。


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